医学部から厚労省へ、厚労省からソフトバンクへ。 ヘルスケア業界を様々な立場で見てきたからわかる「霞ヶ関の外から政策提言に関わる」面白さ

医学部から厚労省へ、厚労省からソフトバンクへ。 ヘルスケア業界を様々な立場で見てきたからわかる「霞ヶ関の外から政策提言に関わる」面白さ

医学部から厚労省技官というキャリアスタートは、研修医として勤める中で気づいたある違和感がきっかけに。その後ソフトバンクの新規事業開発部門を経て医療機器の業界団体に勤める笠原さんには、独自のキャリア軸がある。霞ヶ関内外で政策を考えてきた笠原さんならではの視点を追った。

<プロフィール>
笠原真吾さん
滋賀県生まれ。2011年に滋賀医科大学を卒業し、東京都立多摩総合医療センターで初期臨床研修。2013年に厚生労働省入省、診療報酬改定(新規医療技術の保険適用やルール形成)や健康増進法の改正に従事。2019年UCLAでMBA取得。 家庭とキャリアを両立するため、2020年に厚労省を退職。ソフトバンクでの事業開発を経て、2022年から米国医療機器・IVD工業会常務理事として政策提言に従事。その他、国会議員やスタートアップのアドバイザーも務める。


医学部を出て、医者にならなかった理由。「雪かき」のように思えた救急医療の現場

ー研修医から、厚労省へ。少し変わったキャリアですよね。
地元の医科大学を出て、都立病院で研修医としてキャリアをスタートしました。東京の病院を選んだ理由は、それまでずっと関西にいたので東京に行ってみると面白いかなあ、というふわっとした関心でした。
研修医は救急の現場で何人も何人も、たくさんの患者さんを診ます。例えば、ご高齢の方が肺炎で運ばれてきたとき、病状や背景事情をもとに緊急入院が必要なのか考えて、初期治療を行います。しかし、基本的に私が関わることができたのは、一旦肺炎の症状が治まるまででした。肺炎の原因は誤嚥(食べ物や唾液が誤って気道に入ってしまうこと)だったりするのですが、本当の問題である誤嚥の方は、急性期の病院では診ることができません。うまく誤嚥を見てくれる医師にかかれればよいのですが、そうでない場合、根本原因が変わらないのでまた同じ病状で救急に運ばれてきたりします。その繰り返しで、これでは雪かきみたいだなと思ったんですね。かいてもかいても雪が降ってくる。それ自体価値があることだとは思いますが、自分の仕事としてずっと続けていくことには疑問を感じました。じゃあどうしたらいいんだろう、急性期の病気を治した後に適切なところにパスして、根本解決できるところにアクセスできるような仕組みが必要なのではないか、どうすればそういった仕組みを作れるのかと。そういったことをもっと知りたいなと思って、現役の官僚の方々が主催する政策の勉強会に出るようになりました。この勉強会がすごく面白くて、これを一生の仕事にしてもいいと思ったんです。
一般的に研修医は3年目の時に専門科を決めます。外科、内科などと同じような選択として自然と医療政策を選んだんです。それで、医系技官として厚労省に入職しました。

ー勉強会が大きなきっかけだったのですね。どのような内容のものだったのですか?
レクチャー半分、ワークショップ半分という構成でした。レクチャー部分では特定の政策課題について現状や課題を現役の技官の方から詳しく説明してもらい、ワークショップ部分では医学生から後期研修医くらいの立場の人たちが集まってディスカッションをし、最後に結論をプレゼンします。ロールを分けて話し合うことで、各ステークホルダーの目線を学べるようになっていました。政策を思いつくこと自体はそこまで難しくないのですが、各立場からどう見えるのか、本当に取るべき実現可能な解決策は何なのか、となると難しいです。そのプロセス、特にディスカッションがすごく面白かったんですね。振り返ってみれば厚労省に入ってもまさに同じようなことをやっていたので、この時の直感は当たっていたと思います。

ー厚労省ではどのようなお仕事をされていたのですか?
厚労省には7年半在籍しました。3年ちょっとは主に技術的な観点で診療報酬を担当していて、新しい医療技術が開発された際の保険適用のプロセスや値付け、どういう病院でどういう患者さんが使えるようにするべきかというルール決めをしていました。医系の先輩のみならず、薬のプロ、看護のプロ、いわゆるキャリアもノンキャリも混ざったチームでOJTの機会を得ることができ、とてもいい環境でした。仕事の内容としては、企業や学会、患者会の方の訴えを聞いて問題を特定し、どうすれば解決できるのか論理立ててピースを整え直して、制度を変える必要があれば審議会などに解決策を提案する、というようなプロセスです。何か問題があれば、その陰に隠れている原因を整理しようとか、とりうる解決策の中でどれがベストなのかといったことを議論していました。
その後、受動喫煙防止法案にも携わり、ラッキーなことに省内の選抜に受かり、UCLAのビジネススクールで学ぶ機会も得ました。一般的には厚労省からは公衆衛生学や公共政策学で留学する人が多いのですが、私がビジネススクールを選んだのはキャリアの当初メーカーの人たちと関わることが多く、医療に新しいものを持ち込むためには民間の人との関わりが必要だと感じていたからです。
帰国後はがん対策やゲノム医療、コロナ対策本部に携わりました。

初の転職で飛び込んだのはソフトバンクの新規事業担当。浮き彫りになった自分の強み

ーその後、民間転職されたのですよね。なぜソフトバンクへ?
帰国後しばらく経った頃、父から実家の産科クリニックの存続について相談がありました。潰してしまうか迷っている、継ぐことに興味はあるか、という話でしたが、私は産婦人科医ではなかったので継ぐことができません。実は妻が産婦人科医なのですが、「社会的な意義としても地方の産科病院を存続させるべきだ。覚悟を持って継ぎたい」と言ってくれたんです。滋賀県に戻るとなると官僚の仕事とバランスを取るのは難しくなります。それが民間への転職のきっかけでした。
いざ滋賀県に戻る前提で仕事探しをしてみると、政策にまつわる仕事やビジネスの面白い仕事はやはり首都圏にたくさんあるということがわかりました。様々な機会についてリクルーターと話しているうちに、やりたいことも明確になってきました。専門性を活かしつつ、事業を一から作っていくような仕事がしたいと思った時に、リモートワークなど柔軟な働き方を認めてくれるソフトバンクの事業開発部門がマッチしたんです。
ソフトバンクで担当した仕事は大きく二つです。一つは国内のスタートアップと、投資も含めた事業提携。スタートアップを探し、何か一緒にやれるか検討する企画業務です。もう一つはビジョンファンドが投資しているような外国企業と一緒に国内で実験的なことが出来ないかという検討です。すごく面白い仕事でしたね。職場にいろんなスペシャリストがいるんですよ。ビジネスの仕事が初めてだったものですから、すごく刺激的でした。投資業務経験の豊富なファイナンスのプロ、会社法などの組織経営周りのプロ。製薬業界、ヘルスケアスタートアップからなど、いろんな出自の人がいる中途採用の混成部隊でした。
転職を考え始めた時、最初はコンサルや医療機器メーカーからのお声がけを多くいただきました。でもあえてそこから少し離れたくて、事業開発がやりたいと思ったんです。結果、ECや自動運転など、ヘルスケア以外の領域も垣間見ることができて面白かったです。

違う強みを持つ人たちと関わることで、自分の持っている武器もよく見えてきました。私が提供できるものは、やっぱりマクロ視点での医療・ヘルスケアに関する見立てや政策の解釈です。医療・ヘルスケアは規制産業ですから、新しい技術が社会に与える変化を考える際には、技術と政策の両方を理解している必要があります。
転職から一年経ったあたりで、この先どうしようかな、と思いました。ずっとソフトバンクにいるのか、JVなどに移るのか。厚労省やソフトバンクで経験したように別の分野のプロとの協働をこれからも楽しみたかったので、自分が持っている武器をもっと磨いて、自分は自分の分野でNo.1と言えるような仕事をできるようになりたいと思うようになりました。そんな折に業界団体の方からちょうどAMDDで常務理事のポストを探しているとお声がけをいただいたんです。求められるものと、武器を磨きたいという思いを叶える環境が合致していると思いました。

ー民間企業への転職に不安はありませんでしたか?あるいは、入ってからの苦労は。
正直、不安はあんまりなかったです。むしろ違うことをやってみたいという気持ちの方が優っていましたね。
ソフトバンクのカルチャーはそれまでとのギャップがいい意味ですごくあり、面白かったです。例えば行政だと基本的に物事は年単位で考えます。数年先まで見込んで種まきする時期と刈り取る時期が分かれているイメージです。一方ソフトバンクでは、「6ヶ月先にこういうことができます」と言うと、「遅い!2-3ヶ月でやれ!」と言われるんです。医療や健康を扱う分野はビジネスの中でも慎重さが求められる分野です。ソフトバンクは元々ITと通信の会社なので、少しトーンが違いましたね。行政と民間、医療とIT。ダブルでギャップがあったと感じます。
スピード感の違いに関しては当初ストレスではあったんですよ。新しい製品を作るためには臨床試験があり、当局とディスカッションして、プロセスを一つ一つ進めていくのには一年かかる…そんな温度感をご理解いただくのがなかなか大変でした。
違いといえば、PowerPointのスライドひとつとっても文化の違いがありましたね。ソフトバンクには独特のスライド文化があります。行政の”ポンチ絵”とは対極みたいな世界です。行政の資料は細かく米印を入れるなどしてとにかく正確に全てを書き出しますが、まずメインストーリーやインパクトのある数値を押し出すのがソフトバンク流。最初は「あれについては言わなくていいのかな…」みたいなことばかり気になってしまって、シンプルにするということへの抵抗感がありました。手取り足取り教えてくれる上司がいたので、ちょっとずつ馴染んでいくように努力しました。
いわば、ソフトバンクのスタイルは「風呂敷を広げて聞き手のやる気を焚きつける」みたいな感じなんですよね。対極の文化を経験した上で、どちらも楽しかったです。ですが、やはり医療や健康に関することは、花火を打ち上げるだけじゃなく、最終的に責任を取る覚悟や、ある程度慎重に進めることが必要な時もあると思っています。

政策を動かしているのは霞ヶ関内外の「ネットワーク」

ーAMDDではどのようなお仕事をされているのですか?
AMDDでは、医療機器業界の各社で集まって政府・関係機関や政策の中身についての要望をまとめたり、政府から情報の問い合わせがあった際にお答えするような活動をしています。情報周知を担っているような感じです。私個人の役割としては、政策の中身への提案に自分の経験・知見を使い、質をあげていくような立ち位置です。自分が持っている武器を磨きたい、という欲求にはクリーンヒットしています
政策提言をしているという意味では少し霞ヶ関に近いのですが、所属する人たちの雰囲気や交わされる議論の質は、厚労省ともちょっと違うと感じています。厚労省ではとことん考え抜いて議論し尽くす一方、AMDDでは議論を効率的にすすめることも重視されます。その理由はやはり民間企業ならではの時間への意識かもしれません。役人の世界では夜9時に熱いディスカッションが始まったりしました。すごく楽しいので嫌ではありませんでしたし、だからこそとことんロジックを詰めて話し合いができました。AMDDは業界団体なので、いろんな人が労力と意見を持ち寄っている状態です。

今一緒にお仕事している医療機器業界の人たちはすごく真面目に業界のことを考えています。メーカーですから、当然普段は売上・利益を大切にするのがあるべき姿なのですが、短期的な売上のために信頼をなくすようなことはしませんし、社会全体への長期的な影響や会社への信頼を意識しているな、と感じます。政策提案の中でもそのような意識を感じますね。何でもかんでも規制緩和した方がいいという論調ではなく、「この規制は安全のために必要だからそんなに簡単に緩和を求めない方がいいのではないか」というような意見も出てきます。これはいい意味で驚きでした。

当初、厚労省を辞める時には、民間に行くからにはもう政策周りの仕事はやらない、と思っていました。でも外でやってみたら、外には外の面白さがあります。
役所で政策に関わることには当然大きなアドバンテージがあります。トップティアの先生のお話をお聞きする機会など、役所だからアクセスしやすい資源、ツールはたくさんあります。対して現場に近い業界団体に身を置いている現在の立場で政策に関わる面白さは、いろんな生の声を聞けることだと感じています。政策提案のチャネルも、役所だけじゃなくて、政治家の先生方ともアカデミアの先生方ともディスカッションを重ねています。政策形成の世界は、転職前には、永田町や霞ヶ関を中心としてステークホルダーをその周りが取り巻いているような中央集権的なイメージでした。しかしいざ外から政策を見てみますと、実はみんないろんなところで繋がっていて複雑なネットワークを形成しているのだとわかりました。いろんなところで日々対話が発生し、お互いの声がすれ違ったり、ぶつかったり。掻き消えちゃうこともありますが、同じ想いに共鳴して、だんだん声が大きくなっていって、空気が醸成される。業界の意志が、複雑な経緯の中でちょっとずつ作られているんだな、と感じられたのは、新しい発見でした。霞ヶ関の外から政策提言に携わるのも面白い経験だと思います

いつも心は「霞ヶ関応援隊」

中・高・大と、学生時代ずっとラグビーをやっていました。大学を卒業する際に恩師が色紙に書いてくれたメッセージ「人生楕円球」という言葉があります。楕円球というのはラグビーボールのことです。どっちに転がるかわからないボールなんですよね。いざ自分のキャリアを振り返ってみると、まさに楕円球。自分の好奇心の赴くままに、躊躇なく医療のフィールドで動いてきました。その時その時を楽しめていることには満足しています。同時に、この先どうしようというのもまだよくわかってはいません。大きな視点で捉えればキャリアの軸は「ヘルスケア領域で、みんながハッピーになれるようなことをしたい」ということからブレてはいません。キャリアとしては典型ではないのでロールモデルがあまりおらず、今後どういった仕事をしていくことになるのかわからないという不安は若干あります。なので今は足腰を鍛えるつもりで、社会人大学院で医療経済学を学んでいたりします。私以外の人たちはみんな経済学の学位をお持ちなので、苦労はしていますが、なんとか食らいついてゆっくりペースながら研究を進めています。
私は外に出ましたが、霞ヶ関の中の人たちを応援したい気持ちもずっと持っています。「リボルビング・ドア」というキャリアの考え方には共感しますが、同時に官僚として頑張り続けている人たちも尊敬されて然るべきです。今は外部から、違う立場で近しいイシューを取り扱う仕事をしていますが、これからも勝手に霞ヶ関応援部隊みたいな気持ちでいます。

【編・写:大屋佳世子】


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