民間への転職を経て国家公務員に戻った官僚が感じる、”出戻り”キャリアの強みとメリット

(官⇆民の越境キャリアを支援するVOLVEのnoteです)

経済産業省で働く山本さんは、“リボルビング・ドア”なキャリアの実践者だ。新卒で官僚となり、その後は、非営利法人のメンバーとして復興支援に携わりながら自治体のアドバイザー等を務め、現在は再び国家公務員の立場で福島の復興に向き合っている。複数の立場で地域に関わってきたからこそ感じる違い、“出戻り”キャリアならではのアドバンテージなどをお聞きした。

<プロフィール>
山本慎一郎さん
2000年に東京大学卒業後、建設省(現・国土交通省)に入省。公共工事の品質確保の促進に関する法律の制定や、景観法の施行・運用などに携わった後、在タイ大使館一等書記官、近畿地方整備局都市整備課長、総合政策局海外プロジェクト推進官を経て、2012年に退職。翌2013年より一般社団法人RCF復興支援チーム(現・RCF)に参画し、約6年間、福島を中心とする復興に携わったほか、奈良県明日香村政策監、京都府久御山町アドイザー、茨城大学社会連携センター顧問等を兼務し、各地の地方創生に尽力。2019年に経済産業省に入省し、資源エネルギー庁新エネルギー課(風力班長)、福島イノベーション・コースト構想推進機構(企画戦略室長)を経て、現在、大臣官房福島復興推進グループ企画官を務める。技術士(建設部門)、政策研究大学院大学修了(政策研究修士)。


「その道のプロとして、腕一本で」震災を経て固まった想い

―山本さんのキャリアについて教えてください。
新卒で国土交通省に入省し、都市整備や入札契約制度などを担当したのち、東日本大震災からの復興支援を担う非営利法人に転じました。2019年からは再び国家公務員に戻り、経済産業省で働いています。
2023年からは霞ケ関での管理職ということになり、メンバーが良い仕事をしている姿を見るのが楽しくなりました。メンバーがモチベーション高く成長していくことは喜びですね。

僕は1977年生まれで、東京大学の法学部に進むコースに入ったのですが、「理転」して工学部の都市工学科を卒業しています。都市計画や建築に興味があり、学生時代は、ゼネコンの開発部門や都市計画コンサルタントでアルバイトしていました。なるべく早く働きたいと思っていたため、学部卒で国土交通省(当時の建設省)に入りました。様々な地域にも関われるし、霞が関で制度そのものを担当することもできるというのが理由です。都市工学科の学生にとってオーソドックスな進路選択のひとつだったと思います。結局、35歳まで勤めることになりました。

ちなみに、都市計画や建築に興味を持ったのは、確か高校2年生の終わりでした。現代文の授業で建築家の文章を読んで興味を惹かれ、人づてに先輩の若手建築家を紹介してもらい、アトリエまで会いに行きました。その先輩に、「ここから新宿駅まで歩いて帰る道があるよね。それだって誰かしらが柵に至るまでデザインして作っているんだよ」と言われたんですね。高校2年生の僕はそんな風に都市を捉えたことがなく、「すごい」と思いました。日々の生活が、実は広い意味でデザインされた世界の上で成り立っていることに今さら気づいて衝撃を受けたんです。それこそ、当時住んでいた社宅や街区だって、誰かしらが設計したんだと。そして、都市や建築の面白い側面は、それが時にはアートや文化の一部として成り立ち得る点にもあります。それも含めて、多様な側面にどんどん興味を持っていきました。
そもそも、僕は東京の社宅育ちの都会っ子でしたが、近所を探検するのが大好きな子供だったんですよ。そんな大都市も「人によるデザインの集積である」と気づいたことで、すごく興奮しましたね。

―新卒の際はどのようにキャリアを選ばれたのですか。
ゼネコンや都市計画コンサルタントは、アルバイトで既に経験したような気分になってしまっていました。他に経営コンサルタントなども受けたものの、そちらもピンとはきませんでした。都市計画や地域づくりに関わりたいという気持ちが強かったことが、パブリックの世界を選ぶことにつながったのは、自然な流れだったように思います。
大学時代にバックパックで海外旅行をして、政策やルールによって街並みがつくられ、そこを舞台に人々が生活している場所をたくさん見ました。そういった仕事に今から関わるんだったら、国の役所が良いだろうと思ったんですね。当時、国の政策として、街並みや景観をしっかりと位置付けるのは、まだまだこれから、という時代だったのです。

結局その後、国土交通省が「美しい国づくり政策大綱」を定め、景観法の成立につながりました。いずれの策定時期にも、僕は担当ではありませんでしたが、景観法の成立後に新設された「景観室」の初代メンバーになることができました。全体のグラウンドルールとして国が定めた仕組みの上で、地方公共団体が徐々に具体的な計画とローカルな規制を定めて運用していくフェーズの担当でした。

―どのようなきっかけで転職に至ったのでしょうか。
景観室の仕事を含め、広い意味での都市整備関係の仕事をしていたのは、国交省在籍期間の1/3弱です。残り2/3のうち半分が国際関係の仕事で、そのうち3年間は、2008年から外務省に出向して、タイのバンコクにある日本大使館で働きました。現地で活躍している日本人ともやりとりが増えて、例えば国際機関の職員など、「腕一本」で自らのキャリアを切り拓いていく方々と親しく付き合い、刺激を受けました。
そんな中、2011年3月11日、大使館のモニターに映る津波のニュース映像で、東日本大震災の発生を知りました。その直後の3月末には帰国が決まっており、4月には近畿地方整備局都市整備課長に着任したのですが、当時名前を知っていた人たちの中には、勤務先を辞めて東北に移り復興を担う方々がいることをその後に知りました。東北出身でなくても全身全霊をかけて、地域の再生に取り組む人の存在もまた、刺激となりました。それまで潜在的にあった、「その道のプロとして、腕一本で」仕事をしていくことへの思いが、首をもたげ始めたのだと思います。
2012年からは本省に戻り、35歳を迎え、ジェネラリストとしてのキャリアが軌道に乗っている実感もあったものの、「思い切るなら今のタイミングだ」と思い、退職に至りました。
とはいっても、退職後に携わる仕事をきちんと段取りできていなかったのですが、当時、一般社団法人RCF復興支援チーム(現・RCF)が、現地状況への理解などから大手日本企業や外資企業にパートナーとして選ばれ、復興のコーディネーター人材を探しているという話を聞き、2013年にジョインしました。

国土交通省での最後の年に、インド都市開発省のカウンターパートと

現場経験で得た「リアルさ」を政策形成に活かす

―RCFではどのような仕事をされていたのですか。
その後、2015年以降には、「日本版シティマネージャー」として関西の市町村の非常勤職員(アドバイザー)を兼業したり、法人を自ら作ったりもしたのですが、それ以前の2013年から14年は、RCFとして行政の仕事を引き受ける機会が増えていく時期で、これらを全力で担当していました。1年目にメインで担当したのは福島県双葉町での復興支援員事業の立ち上げ、その次が大熊町での立ち上げでした。いずれも、福島第一原発の立地自治体です。当時はまだ、全町民のみならず、役場そのものが避難中で、行政の方もしんどそうな様子でした…。
「復興支援員」は、「地域おこし協力隊」を参考に設けられた仕組みです。両町の事業とも、町外に避難中の町民も含めて10人近くメンバーを採用し、町民全体のコミュニティ再生をサポートするもので、県内外を訪問しました。自分も各地の仮設住宅にお邪魔しましたが、一言でいうと、リアルでした。
現在は、回り回って、経済産業省の福島復興推進グループで仕事をしていますが、この時の「リアルさ」の感覚を忘れないようにしようと常々思っています。

そして、RCFは「ベンチャーNPO」などと呼ばれたり、メンバー数がその後約60人に達することもありましたが、僕がジョインしたのは、その手前の、法人化してから2年も経っていない、初期のフェーズでした。僕自身、経営メンバーとして、組織マネジメントや採用も担当したほか、案件獲得の活動も経験しました。これを経験して肌感覚を得たことは、例えば後で自分が市町村のアドバイザーを兼業する時期も含めて、とても役立ちました。

福島県川内村のワイン用ブドウ畑で(2016年)

RCFに参画して6年目に入り、当初の思いも満たされつつあった頃に、人づてに、経済産業省が、人事院を経由しない直接の中途採用(選考採用)を数年振りに行うので、説明会を開くという話を知りました。脳裏に浮かんだのは、RCFの仕事を通じて福島の現地で出会った、経済産業省からの派遣職員のことでした。彼らは、政策を自ら担う国の職員でありながら、現地の役場職員や地域の方々から身近な存在であり、とても信頼されていました。そういう立場での仕事も良いなと思ったんですよね。

そうして、ご縁を頂いて課長補佐級で経産省に入り、現在3ポスト目になります。1ポスト目は、新エネルギー課の風力班長として、洋上風力発電の本格展開の初動を担当しました。入省日が、そのための新しい法律の施行日だったのです。国土交通省と一緒に担当する仕事もかなりありました。洋上風力と地域との共生のため、地域とのコミュニケーションが相当必要でしたが、それまで培った現場感が活かされたのではないかと思います。

そして、2021年6月から2年間、福島県の関連法人に派遣された後、2023年6月からは現在のポストで、引き続き福島復興を担当しています。その間、担当してきたことのひとつに、福島イノベーション・コースト構想があります。福島県の浜通り地域では、2011年3月までは原発が稼働しており、原子力関連が地域の主たる産業の一つでした。しかしそれでは成り立たないので、新しい産業を興さなければならない。そこで、廃炉、ロボット・ドローン、再エネなどの分野での取り組みが進められています。この構想を適切にアップデートしていくためにも、これまで現地で経験したことも踏まえて、関連省庁との調整も含め、議論していかなくてはなりません。現場での経験を通じて得られた視野と知見を踏まえて政策形成に活かすことは、ミッションであるとも感じますし、やりがいにつながるとも思います。

―現在とRCF時代、担当内容はいずれも福島の復興支援ですが、官と民の立場の違いを感じるのはどのような点ですか。またその中で苦労された点、逆にご自身のスキルが役立った点はありましたでしょうか。
民間でプロジェクトを実施するときは「予実管理」を行うのがほとんどだと思います。RCFに来て最初の頃は、これに苦労して、他のメンバーから色々指摘を受けました。それまでの役所の仕事においても、外部との契約別の予算管理は経験していたものの、RCFに来てコーポレート部門の分も考慮してプロジェクトごとに予実管理を行うこととは、全く感覚が異なるので、慣れるまでは苦労しました。

一方で、RCFのように民間企業の執行役員経験者をはじめとするビジネス経験者が多い組織の中で、行政とのコミュニケーション方法を心得ていたことは、自分にとっての強みだったと思います。自分が担当した事業以外にも多くのプロジェクトにおいて、行政は欠かさざるべきステークホルダーでしたから。例えば、「行政ならではのカレンダーに沿った動き方」や、「議会をはじめとする地域のキープレイヤーの合意を得る段取り」など、関係者の理解を得つつ巻き込みながら仕事を進めることができました。

民間にいたからできるチームマネジメントのやり方

―国家公務員に戻った現在、一度民間に出たからこそ感じるアドバンテージはありますか。
民間時代、自分がわからないことは「わからない」として、周囲に教えを乞うていたところ、大企業のマネジメント経験者から「チームマネジメントのあり方」を教えてもらったように思います。
その後、2021年6月から2年間、福島県の関連法人である「福島イノベーション・コースト構想推進機構」に派遣されて管理職を務めていたのですが、民間企業を含む多様な出自のメンバーから構成される組織であり、時々RCF時代のことも思い出しながらマネジメントに取り組んでいました。新たに福島イノベ機構の「理念」と「行動指針」の策定を導くことができたのも、RCFで色々なことを学んだおかげかもしれません。

そして、国の立場で制度や仕組みをつくる場合には、シンプルで、理解しやすく、運用しやすいものが望ましいです。そのような原則を、肌感覚を伴って理解できた経験も、自分のアドバンテージであり、活かしていきたいと思っています。
法令や補助金といった制度や仕組みは、霞が関で作られたとしても、実際には地方公共団体等による運用を経て動くものが多いです。各地の自治体や商工団体等には、たいへん意欲がある職員の方も多く、「こういう制度や仕組みだったら活用したい」という声を頂くことだってあるのですが、地方部ほどリソースが限られることも多く、実態として彼らの手に余ってしまう制度や仕組みも存在します。そもそも理解すら簡単でなく実運用までに時間がかかるような仕組みは、概して上手くいきません。
RCFでの仕事や市町村アドバイザー業務を通じて、実際に地方公共団体の職員や地域の方々と一緒に仕事をすることが多かったことで、上記が理解できたように思います。

―今後、どのようなキャリアを描いていますか。
まず現在、行政の立場で働くことができるのは、ありがたいことだと思っています。これからの社会に必要なことを政策を通じて実現する仕事に、時には青臭く注力できる立場だからです。ビジネスでは「顧客の獲得」が前提として必要ですが、それに対して行政の仕事はそこから始まらないことが大きく異なりますし、申し上げたような純粋さにつながるようにも思います。国の仕事はやりがいがあるし、今後も自分の強みが活きる機会はそれなりにあるだろうと思います。関われる領域も広いので、うまく経験を紡いでいければいい。他方で、社会の変化がすごく速いですから、働き方だけでなく、働く立場やジャンルが変わる可能性もあると思っています。
いずれにせよ、これまでのところ、自分なりに仕事の軸があるようにも思っていて、結局のところ高校時代の原体験から繋がっているようにも感じています。「都市や地域における人々の生活が、質が高く幸せなものになるように、インフラだけでなく仕組みを含めてデザインする」仕事ですかね。
長い人生、定年制だって存在するので、また異なる立場で仕事をするときもあるでしょう。いつでもそんな機会が来たらチャレンジして、最大限社会に貢献し続けられるよう、研鑽していきたいですね。

【編・写:大屋佳世子】


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総務省出身、株式会社ディー・エヌ・エー取締役の大井潤さんにお聞きしました。

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