
在中国大使館経済部の石田春菜さんは、新卒で外務省に入省した後、外資系コンサルティングファームへ転職。民間でのキャリアを築いていましたが、再び外務省に戻りました。国際秩序が大きく揺らぐ時代の中で、なぜ再び外交の現場を選んだのか。外交官としての仕事の魅力とキャリアの転機について話を聞きました。
<プロフィール>
石田春菜さん
2005年、外務省入省。フランス国立行政学院(ENA)(当時)での研修、在フランス大使館での勤務などを経験。2014年にボストン コンサルティング グループ(BCG)に転職し、主にヘルスケアやパブリックセクターのプロジェクトに従事。2019年に再び外務省に入省し、総合外交政策局経済安全保障政策室(当時)首席事務官などを歴任。2024年8月からは在中国大使館経済部にて、日中経済関係を担当している。2男1女と夫の5人家族。
──外交官を志したきっかけは何でしょうか。
幼い頃から、親の仕事の関係で海外に住んでいたこともあり国際関係には関心がありました。東西冷戦が終結し、国際情勢が安定に向かうと言われた90年代、期待とは裏腹に世界各地で紛争や戦争が絶えず、中高生ながらに、その背景や理由に疑問を持っていました。
こうした問題意識もあり、大学では国際関係論を専攻しました。大学時代にフランスへ留学した際には、ちょうどイラク戦争が起きており、大規模な反戦デモを目の当たりにしました。また、紛争があった地域へのフィールドワークに参加したりもしました。こうした経験を通じて、国際政治や国際関係はニュースで見るだけの話ではなく、自分ごとなのだと強く感じたことをよく覚えています。
振り返ると、何か決定的な出来事があったというよりも、学生時代までにさまざまな形で外交や国際政治に触れ、徐々に関心を持つようになっていったのだと思います。
──入省後はどのような業務を担当されてきましたか。
最初の2年間は東京で国連関連の仕事をし、その後、フランスの官僚養成学校である国立行政学院(ENA)で2年間研修を受けました。その後はパリの在フランス大使館で勤務し、ヨーロッパや中東といった地域や、安全保障、軍縮・不拡散といった分野でのフランスの政策をウォッチしつつ、日本の方針とすりあわせていく業務を担当しました。帰国してからは2020年東京オリンピック・パラリンピック大会の招致に関わったり、安倍総理(当時)のフランス語通訳を務めさせていただいたりしました。
──外務省での経験の中で特に印象に残っていることは何ですか。
どの仕事にも思い入れがありますが、振り返ると入省3~4年目の在外研修は貴重な成長の機会になったと思います。外務省の在外研修では語学の習得はもちろんですが、その国の人々の中に入り込んで、社会や歴史、文化、経済、行政などを深く学ぶことが期待されています。私はENAというフランスの官僚養成学校で2年間研修したのですが、ここには私のような外国人も含め、世界中から外交官や官僚の卵が集まります。優秀な学生たちと文字通り切磋琢磨しながら学ぶ環境は非常に刺激的でした。
プログラムの一部はインターンシップで、フランスの国防省で勤務したほか、地方長官の補佐としてラ・ロッシェルという大西洋側の港町に赴任しました。当時はリーマンショックの頃で、フランスの経済対策や行政改革を地方でどう実行していくのか、県全体を走り回りながら、非常に実務的で泥臭い業務を現地の行政官の同僚たちと一緒に担当したことは、とても印象に残っています。また、何よりも、こうした経験を通じてフランスの行政組織や社会を深く知ることができ、自分が行政官・外交官として政策を考え、実行していくうえで参考になる一つの視点、座標軸のようなものを育むことができたように思います。

──転職を考えた理由は何だったのでしょうか。これまでのお話を聞くと、仕事は充実していたように感じます。
はい、とてもやりがいのある職場だと思っていました。しかし、当時、夫の海外転勤の可能性が高かったのですが、まだ配偶者同行休業※のような制度がなく、子どもたちも小さかったので自分と夫のキャリアをどう両立させるか悩んでいました。転職活動はあまりしていなかったのですが、そんな頃にご縁があってボストン コンサルティング グループ(BCG)からお話を聞く機会があり、海外オフィスへの移籍の可能性も含めたキャリアパスの多様性に惹かれたこと、また、何よりも、クライアント企業の難しい経営課題の解決をご支援することで、社会に変革をもたらしていくという点に共感して転職を決めました。
※国家公務員が外国に転勤・留学等する配偶者と生活を共にするため、最長3年まで取得できる無給の休業制度
──BCGでは、どのような仕事をされていましたか。
主にヘルスケアやパブリックセクターのプロジェクトに従事しました。クライアント企業の経営課題を解決するため、仮説を立て、ファクトとロジックに基づき分析してインサイトを出す過程は知的にハードでした。でも、チームで何度も何度も議論して突破口が見えた瞬間や、考え抜いた解決策にクライアントからゴーサインが出た瞬間など、やりがいも本当に大きかったです。
──官僚時代とのカルチャーの違いは感じましたか。
入社直後は、「あなたはどう思うの?」と常に意見を問われることが新鮮でした。それまで自分がやってきた仕事はある程度方針があってそれを形にしていくことに重点をおいていたのだな、自分から「こうするべきだ」と提言していく意識が甘かったな、と反省とともに気付かされたのだと思います。
戸惑ったのは成長に対するスピード感の違いです。外務省では5年単位、10年単位で一人前の外交官を育てていく文化があります。一方で、BCGでは数ヶ月単位のプロジェクトごとに自分がどう成長するのか問われますし、そのための仕組みも整っていると感じました。プレッシャーもありましたが、その分非常に鍛えられました。
一方、近いな、と感じた部分も多かったことを覚えています。例えば、コンサルも外務省も「人が最大の財産」という点では共通していると思います。また、ハードな瞬間でも成果を出し切って当然だというプロ意識も共通していると感じました。

──BCGには約5年間在籍し、その間にプロジェクト・リーダーへの昇格も果たしました。活躍されていた中で、なぜ外務省に戻る選択をされたのでしょうか。
昇進してよりグローバルな知見に触れる機会が増えた頃から、今は、技術革新が猛烈に進むとともに、国際社会のパワーバランスが変化する、歴史的な転換点なのだと強く感じるようになりました。そして、そういう大きな変動の中で、20年後、30年後も、自分が生まれ育った日本の安全と繁栄、そして国際社会の平和と安定が 保たれていく ことは自明ではない、だからこそ、自分は何をするのが一番良いのだろう、と考えるようになりました。
BCGの仕事を通じて日本企業を強くすることも、日本経済を強くすることにつながりますし、そこに大きなやりがいも感じていました。ただ、難しい時代だからこそ、外務省で働く方がよりストレートに取り組めるのではないかと考えたのです。
──外務省では出戻りの前例はあったのでしょうか。
外務省を辞める時は「戻ってこられる」とは思っていませんでした。当時、外務省では出戻りの前例はほぼなく、霞が関全体を見渡しても数例目だったと聞いています。「BCGでの5年間の経験や成長を経た上で、実力で外務省に欲しい人材だと思ってもらいたい」と思い、選考に臨みました。
選考にあたっては、人事院が実施する係長級の経験者採用試験(当時)を受験しました。もちろん他の候補者と全く同じ正規のプロセスでの受験です。BCGでの仕事の合間をぬって試験勉強を進めるのは結構大変でした。また、面接では他の候補者と同様に志望動機などを厳しく問われました。結果的に採用となり、多くの方から「戻ってきてくれて嬉しい」と言っていただけたのはとてもありがたかったです。
──戻られた後は、具体的にどのような業務を担当されてきたのでしょうか。
2019年に再入省してからは、アジア大洋州局の地域政策参事官室に2年ほど所属し、ASEANや東アジアサミットなどのアジアにおける多国間枠組みや、南シナ海問題、歴史問題などを担当しました。
2021年の夏には、総合外交政策局の「経済安全保障政策室」(当時)に異動しました。近年、AIやドローンといった新興技術の軍事利用や、レアアースなど重要物資のサプライチェーンの問題など、経済と安全保障の垣根が曖昧になっています。日本が高い技術力を維持しつつ、他国に頼りすぎない経済構造を作るために、生活を支えるインフラの安定や重要物資の供給をどう実現していくのか。そのためにG7や日米豪印などの国々と協力を進めるなど、非常にやりがいのある仕事でした。
──現在は中国に駐在されていると伺いました。
2024年8月からは在中国大使館の経済部で日中経済関係を担当しています。経済部には霞が関のほぼ全ての経済官庁から出向者が集まっており、私はその総括として、日中経済関係の全体を取りまとめつつ、中国側との交渉や中国経済のフォローなどを担当しています。
──民間に行く前と比べて、待遇面や働き方は変わりましたか。
新型コロナウイルス禍や業務合理化の改革を経て、霞が関も大きく変わりました。私自身も有志チームの一員として関わりましたが、外務省でも、「人が最大の財産」との考え方の下、人にしかできない業務に限りのある時間を使えるよう、AIやクラウドの活用などを通じた業務の効率化が進んでいます。
待遇面では、国家公務員の給与体系に戻ったためコンサルの頃と変化はありました。しかし、外務省でも給与や手当がより時代に即した仕組みとなるよう改革が進んでいます。また、最近では、民間企業でキャリアを積んだ上で入省される方がどんどん増えています。多様な人材が働きがいと働きやすさを両立して、力を最大限発揮できるよう、組織全体が日々進化しているという実感があります。
──外務省に戻ってよかったと感じていますか?
はい。外交という仕事は非常に難しいと思いますし、プレッシャーも大きいです。しかし、世界の大きな流れを見定めながら、難しい国際環境の中で、相手国を動かし、日本の平和と繁栄を保っていくにはどうしたら良いのか。さらには、日本にとって望ましい国際環境とはどういうものなのか、その実現のために何をすれば良いのか。文字通り思考錯誤を重ねながらも、真っ正面からそうした営みに取り組めること自体がとても面白い職場だと感じます。
──BCGでの民間経験は、現在の官僚としての業務にどう活きていますか。
コンサルの基本スキルである「論点思考」「仮説思考」といった手法や、ビジネスの現場に実際に出ていたことで得られた「土地勘」は、多少の強みになっていると感じます。また、官庁にも学びのチャンスは転がっていると思いますが、私自身は、ファクトとロジックで考え抜くということをたたき込んでいただいたのがありがたかったと感じています。
最近、国際環境の変化のスピードが上がり、外交も複雑化する中で、外務省でも「社会人経験者選考採用(総合職相当及び専門職相当)」として、ミッドキャリアの方の採用を強化しています。実際、金融、弁護士、メディア、ベンチャーなど様々なバックグラウンドの方が活躍されています。また、外務省は扱うテーマも広いですし、機能の面でもとても複層的です。多様な経験や専門性を持つ方々が活躍できる組織なのではと感じます。
──最後に、外交官としての今後目指したい姿を教えてください。
私には3人の子どもがいます。世界が大きな転換点を迎えている中、自分の子どもたちをはじめとする次の世代に「よい日本」を残したいと思って仕事をしています。同時に、そこに向けて実際に貢献していくことがいかに難しく、大変なことかも日々痛感します。
外交は国と国との関係ですが、突き詰めれば人と人との関係の積み重ねです。だからこそ、日々、自分自身が研鑽し、成長し続けなければならないと強く思います。簡単ではありませんが、行き詰まったときに「この人となら一緒に状況を打開しよう」、「あなたが言うならそうしよう」と相手に思ってもらえるような外交官を目指し、そして、「よりよい日本」を残していくために好ましい国際社会とはどういうものか、その実現に向けて少しでも貢献していくことができればと思っています。
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